罰を受けて罪を償う

備忘録です。

芯を食った謝罪

前回の記事で党派性について書いたが、「身内は無条件に信じてかばう」というのも党派性の現れで、これはほとんど人間の本能に根ざした性向と思う。「かばったのは間違いだった、強い思い込みにより私の認知が歪んでいた」と表明するのは尊いことだ。

 

自分が絶対正義界の住人だと信じていると、生き方の指針が「味方をかばいながら絶対悪の敵を貶める」だけになって何も考えずに済み、大変ラクである。

 

昨今よく使われる「謝ったら死ぬ病」という言葉だが、絶対正義界に長く暮らしていると、「無謬でなくてはもう生きていけない」という考え方に染まっていくのだと思う。自分に一切の落ち度があってはならないという呪い。

 

謝ったら死ぬ病が流行する中、それでも謝罪する人は多数いる。権力や暴力などの外圧に逆らえず、謝罪しなければならない状況に追い込まれているからだ。しかしそうした人たちの多くはまだ党派性や無謬性にとらわれており、芯を食った謝罪を意図的に避ける。

 

例えば「世間をお騒がせしたことをお詫びする」という詫び方。これは間違いなく意識して芯を外している。謝るのはそこではなく、「自分がどんな卑しい目論見で卑怯なことをしようとしたり他人を貶めようと試み、そして失敗したか」「いかに他人を騙して甘い汁を吸おうとしたか」といった不都合な事実を言語化する必要があるのだ。これをできる人間はカッコいいし爽やかだし、リスペクトの念を覚える。

 

ほとんどの人間は芯を食った謝罪ができない。自分の駄目さに向き合うのが怖い、恥ずかしいというのもあるだろうが、「絶対正義陣営の俺が芯を食った謝罪をしたら陣営に迷惑がかかり悪の支配する世界になってしまう」という意味での恐怖心もあると思う。

 

また、小4を装って「どうして解散するんですか?」とかいうサイトをつくったアホも、青年会議所の宇予くんも、寄付金デマで晒されたツイッタラーも、カオス*ラウンジも、似た路線で全然芯を食ってない謝罪をしていた。例えば以下のような謝罪だ。

 

「自分なりに問題提起がしたいという意図で行ったが、やり方に誤解を招くところがあったかもしれない。言い方が強すぎて誰かを傷つけてしまったのであれば本意ではなく、申し訳ないと思う」

 

こうも芯を食わない謝罪は、「正義である俺が謝る道理はない」と思っていると見なされても仕方ないだろう。だいたい「私の真意はAだが、誤解を招き、傷ついた人がいるなら謝りたい」という謝り方は「私は悪くないが読解力のない世間が誤読したなら謝りたい」ということであり、要するに「お前らが読解力がなくて誤読しているのだ」と逆に責めているのであある。

 

伊集院光の謝罪

昨今めったに見れない、美しくも芯を食った謝罪が伊集院光の謝罪だ。

 

キングオブコメディというお笑いコンビの高橋なる芸人が電車での痴漢容疑で逮捕された際、高橋の芸人仲間たちが「我々は彼を大変よく知っているが、高橋は絶対にそんなことをする男ではない」と陳述書を提出。高橋は不起訴となった。伊集院光も陳述書で高橋を擁護し、ラジオでもいかに高橋がそんなことをする可能性がゼロであるかを自信を持って語った。

 

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伊集院光:まぁ難しいなって思ったね。これはね…日頃から、色んな若手芸人、若手芸人にかぎらず、ゲストとか他のタレントとか、知人・友人と話をしている。僕は話をする仕事だから、話をする中で、割りと話を通じて「この人の性格って、こういうところなんじゃないかな」って、受け取れてるつもりでいつも話をしてるし、そこの能力に全く自信がなければ、こういう仕事を俺はしてないんだけど。

長岡杏子:はい。

伊集院光:高橋がやるとは思えないんだよね。

長岡杏子:うん。

伊集院光:これまたどこまで逸脱していいか分からないけど、お笑い同士のキツイシャレで言えば、凄いたくさんお笑い芸人がいる中…何十人もお笑い芸人と交流する中、酒飲み話で「アイツなら、やってもおかしくないんじゃないの」って言われるヤツだって、いなくはない。それが過度なシャレでね、やるかやらないかは別。

長岡杏子:はい。

伊集院光:でも、高橋のあの話が出た時に、高橋を知ってるお笑い芸人は、ほぼ満場一致で「それは冤罪だ」っていう。

長岡杏子:うん。

伊集院光:「それは何かの間違いだ」って、声を揃えて言うのは、お笑いに関しては相当珍しいことなんだよね。キツイ、空気を読めないシャレを言うヤツもいるから。

かなり雄弁に持論を展開している。 

 

が、高橋は数年後再び逮捕された。今度は高校に侵入し、女子高生の体操服や制服を盗んだのだ。警察が高橋の家に踏み込むと、大量の体操服や制服が見つかり、とうとう常習犯であったことを白状して事務所を解雇された。

 

伊集院光はラジオで謝罪した。

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僕、その時、こう言ったと思います。「職業柄、人と目を見て喋った上で、その人を見る目は、それなりにあると思う」と前置きした上で、痴漢の容疑について、「高橋はそういうことをするヤツだとは、とても思えないんだよな」という話をしました

それで、とてもみっともない。今思えば、とてもみっともない結果になりました。それでいて、自分で思うところはたくさんあります。だけど、今日のところは、僕、この整理をつかない状態で、僕が高橋に対して思うところ、とかそういう問題じゃないです。

僕がラジオをやる、免許じゃないけど、僕がラジオをやり続けて良いって、僕に対して思うかどうかは、このことを喋ることだと思ってます。

このみっともない、テメェの「人を見る目があると思う」って前置きをした上で、「やってないと思うし、やってないと思いたい」って言ったことに関して、反省してるし、「バカだな、お前」って思う人は笑って欲しいです。

「アイツ、みっともねぇな。何の見る目もないじゃん」って、その通りなんです。

 これはかなり芯を食った謝罪であろうと思う。ここまで「自分のどこがどうクソだったか」に向き合った謝罪なら、それ以上責める気にはなかなかなれない。第三者からしてみればこの誠実さは尊敬に値すると思う。

(本当に謝るべき対象がいるとするなら、数年前に高橋に痴漢をされたにも関わらず有名人たちに冤罪扱いされた電車の女性だろうが)

 

今の御時世、自分の非を認め芯を食った謝罪ができる人間は本当に希少だ。一つでも落ち度を認めると、自分の影響力が下がり、悪の陣営を利すると思ってしまっている人が多いように思う。

 

たしかに謝罪すると「こいつ謝ったンゴ!殺してもOKンゴ!!!」と追い打ちをかけてくるイナゴも中にはいるだろうが、でも芯を食った謝罪はもっと多くの人の心を打ち、むしろ「ちゃんと誤りを認められる人なんだ」「誠実であり信用できる」と信頼される方が多いはずだと思う。間違いは誰でもするが、芯を食った謝罪はほとんどの人ができないからだ。しかしそうしたリスペクトはあまり表明されないことが多いので、積極的にリスペクトを表明していきたいと思う。

 

あと言えることは、たかが友達について安易に「そんなことする奴じゃない」とかよく言えるなということ。家族だろうと戦友だろうと他人であり、自分が分かり得るのはほんの一部でしかない。

 

ある程度生きていれば、自分が100%の好意や信頼を寄せていた人物の意外とクソな面を知り戸惑ったり傷ついたりすることは何度もあるだろう。そこで「誰にでもクソな面あるわな」と学習していけるかどうかだ。反省も学習もせず辻褄を合わせてしまう人が多いのではないか。