※10/10 08:3514:30 10/11全体に加筆した。
何周遅れかわからないが、今さら温泉むすめの炎上元になったツイートを見る機会があり思ったことをつれづれなるままに書く。主にポリコレについて書く。
もともとは以下の記事に温泉むすめについての反射的な感想を書いていたのだが、
書いてるうちに思考が膨らんできたので別記事として、今の考えを雑多に書き残す次第だ。
起承転結も何もない垂れ流しなので悪しからず……。
テーマは
- ポリコレってなんなんだ?
- そもそもポリコレに正当性はあるのか?
- ポリコレはこれからどこに行くのか?
- 俺のポリコレ感覚は?
- 金カムで一番好きなキャラはチンポ先生
といったところ。結論めいたものに着地することはない。わりと行ったり来たりする。つれづれだからね。
- ポリティカル・コレクトネスとは何か?
- 「ゴールデンカムイ」はアメリカじゃできない作品か?
- ポリコレという言葉の使われ方のテキトーさ
- 「ゴールデンカムイ」の反ポリコレ表現?(ネタバレあり)
- 温泉むすめ騒動で思ったこと・フィクションにおける同性間セクハラ
- その他、現在ポリコレ的にグレーだと思われるものたち
- ポリコレって要は道徳とか常識の言い換えでは?
- もっと俺たちはお気持ちを叫ぼうぜ
- いかなるときも100%被害者という絶対大正義ポジションに安住すること
- 表現規制には基本反対だが、しかし……
- コメントに返信
ポリティカル・コレクトネスとは何か?
そもそもポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)とは?俺はこの言葉の意味が全然共有されてないと思っており、ポリコレという言葉自体ほとんど使っていない(と思う)。
定義を確認しない議論は正気の沙汰ではない。
「萌え絵」を議論したいなら、先ず定義せよ - 最終防衛ライン3
万人にとっての定義をしようって話じゃなく、「俺はこういう意味で使ってる」ということを表明し「で、お前はどういう意味で?」って確認してからじゃないと議論にならないという至極当然のことを言っておられる。
2018/11/08 20:59
さて、「ポリコレ」の使われ方としてはほぼ
「ポリコレ警察にはうんざりだ」
というものだろう。まああとは
「ポリコレに配慮されてアップデートされた表現」
みたいな?(こっちの用例はあまり見たことないが)
で、そもそも本来はどういう意味なのかというと、
ポリティカル・コレクトネス | 現代美術用語辞典ver.2.0
なるほど。
ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策または対策などを表す言葉の総称であり[1][2][3][4][5]、人種、信条、性別などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を用いること[6]を指す。政治的妥当性とも言われる。
なるほど。
ここでまず思うのが、残虐表現とか暴力とかエロ表現はポリコレとは関係ないよね?ということ。
「ゴールデンカムイ」はアメリカじゃできない作品か?
「ゴールデンカムイ」の最終回のあたりで金カムを称える文脈がいくつかあったんだが、Twitterでちょくちょく目についたのが
「これはポリコレでガチガチな欧米では絶対できないなw」
というもの。
しかし金カムって言うほどポリコレに反する漫画だったか?俺が読んだ限り、いわゆる「ポリコレ」に反する箇所はあんまりなかったと記憶している。(個人的に気になる箇所は一部あったのでそれは後述する)
上述の「ポリコレに厳しい欧米じゃ無理w」と言ってる人たちは、金カムの暴力描写やグロ描写、そして変態要素について言っているようだった。
しかしお前、欧米の暴力描写&グロ描写&変態描写舐めんなよ!そして暴力やグロやエロはポリコレと関係ねえから!
金カムの実写映画化がすでに告知されているが、おそらく生ぬるく一般層向けの映画になるだろう。しかし欧米で撮られたら、暴力やグロについては日本版よりよほど原作に忠実に作れると思うぞ。原作ファンがドン引きして直視できないものが出てくるかもしれん。
ゲームなんかでもそうだけど、同一タイトルでも欧米版の方がはるかに過激な傾向があり、人体欠損描写なども容赦ない。「モータルコンバット」とか「シャドウオブローマ」とかね。もちろんレーティングはあるんだけど。ホラー映画とか戦争映画でも内臓ばらまきまくってるからな。僕は「ブレインデッド」が好きです。
俺も日本の漫画カルチャーの混沌と豊穣と多様性を誇りに思っているし、金カムみたいな作品が日本以外で作れるわけがねえと思っているが、それはポリコレとは関係ない。
ポリコレという言葉の使われ方のテキトーさ
というわけで、まずはポリコレという概念が適当使いされすぎていることに一石を投じていきたい。
原義に則るなら、ポリコレの象徴のような「多様性の尊重」みたいな要素すら、本来は含まれていないっぽい。単に「差別や偏見を再生産する表現をなるべく避けよう」という程度の話だ。
※追記。ブコメでご指摘いただいたが、そもそも「ポリコレ」は皮肉であり雑な使い方しかないとのこと。確かに「俺はポリコレ賛成」「この作品はポリコレ的にセーフ」とか良い意味で使う人なんかおらんな。つまり「ポリコレは単に嫌いなものを一括りにするためのただの悪口」という感じかな。
以下の記事は俺の感覚にとても近い。
ポリコレのテキトーさ加減を示す話題として、「聖闘士星矢」のネトフリ版がある。これは実に本末転倒な例だった。
「5人の青銅聖闘士が全員男性なのはダイバーシティの点で間違ったメッセージを発信することになる」とかいうプロデューサーの案で瞬が女性化されてしまったのだが、なんでよりによって「戦闘を好まない、優しくて大人しい瞬」を女性にした?それこそステレオタイプじゃん。このプロデューサーが一番女性に偏見持ってるよ。そこは一輝姉さんだろうが!
Netflix新作「聖闘士星矢」ポリコレにより男キャラが女に改変される(海外の反応)| かいこれ! 海外の反応 コレクション
ブコメで言われてるようなことは海外でも一通り指摘されている。このアホなプロデューサーに真っ向から議論を仕掛けるスタッフがいなかったのか疑問だ。つまり誰も聖闘士星矢に興味ない連中が作ってるのかな。
2018/12/11 05:25
そんで、もともと「女性的」な男性である瞬はそのまま据え置いて、「別に男でも戦闘嫌いでええんやで、その優しさが君らしさなんやで」というメッセージをナンボでも発したらよかろうが。男らしさの呪縛に悩む男の子をエンパワーメントしようぜ。
まあネトフリオリジナルなんてたいがいそんなもんなので、いいよ。
ポリコレの話だった。
そんなわけでみんな好き勝手に良く言ったり悪く言ったりしているポリコレだが、それらの概念は、別に「世界ポリコレ協会」とかがあって「はい、これはコレクト!」とジャッジしてくれるものではない。そもそもなんの基準もないテキトーなものなのだという前提は押さえたい。
「ゴールデンカムイ」の反ポリコレ表現?(ネタバレあり)
いったん整理すると、
「ポリコレという言葉の使われ方はテキトーであるので、これについて云々したいなら定義をはっきりさせることが必要」
「それができないならこんな解像度低い言葉使わん方がいいのでは」
というところだ。同様に、俺的には「アップデート」もあまり濫用しない方がいいと思うがそれは後述。
俺の中でのポリコレの定義としては、まあ「現代の西側の価値観にそぐわない描写を避ける」ぐらいの感じだが、この「現代の西側の価値観」はあまりにもゆらぎが大きく、定義しづらいので、現実的には「ここ最近の俺の価値観にそぐわない描写を避ける」ぐらいの意味にしか置けない。
それを前提に金カムに戻ると、「ここ最近の俺の価値観」に照らして、「金カムは別にこれといってポリコレに配慮されてないが、大して抵触もしていない。野田先生はその辺別に考えてない」と思う。かつ、別にそれでええやんと思う。
「大して抵触していない」と書いたのは、多少は引っかかる描写が個人的にはあったからだ。
たとえば若山親分と姫のくだり、「姫?」といちいちドン引きして迫真顔になる杉元や白石だったり、二人が愛を確かめあって死んだ直後に容赦なく1ページぶち抜きで「皮剥いでくる」というシーンは、俺の読解では「ギャップギャグ」だと感じる。そしてそのギャグは、中高年男性同士である若山親分と姫の美しくない風貌(ふざけた乳首だとかバカにされていた)を茶化す感覚が作者と読者の間で共有されているから成り立つやつではないだろうか。ルッキズムとか、同性愛者差別が前提にないと成り立ちにくいネタじゃない?
別に俺も差別的だったり露悪的だったり不謹慎だったり悪趣味なコンテンツも嗜むんだけど。「一般漫画でこれ系のネタは最近あんまり笑えんな」ぐらいか。特殊漫画ならその限りではない。
あとは反発が多そうだが、野田先生から谷垣への愛あるセクハラの数々もまあまあ俺は引っかかった。不快までいかないんだけど、何度も引っ張られると「もうええわ」というか。マッチョ男性相手ならセクハラはギャグにしてもええんか?
(バーニャ!は大好きですが)
まあ、これ言うとカチンとくる人もいるだろう。そんな面倒くせえ奴が金カムなんか読むなよ、not for youだろみたいな。でも俺はどんな大好きな名作であろうとも100%は肯定できないというか、満点付けつつも気になるところとか引っかかるところはあるんだよね。流川が爆音で音楽聴きながら自転車の居眠り運転してるのも若干嫌だったしね(あの作品のリアリティライン的に)。
「明治時代の人物たちなんだから同性愛者が奇異に思われるのは当然だろ」みたいな擁護はあり得るかもしれないが、でも現代の娯楽フィクションに出てくる「昔の人」ってめっちゃ現代人の価値観とノリで描かれてるやん。杉元たちの価値観はまるきり現代人でしょ。その上であれはやっぱりポリティカルにコレクトではないのではないか。
ただ、野田先生に限らず、ほとんどの作家は「ポリコレを意識」なんかしてないと思うんだよ。単純に「今の俺の価値観」に従ってアリ・ナシを判断しているのだろう。編集者からのアドバイスとかもあるだろうけど。
さて、ポリコレという言葉のテキトーさ加減をさんざん叩いておいてなんだが、以下は俺が考える「ポリコレ基準」の話になる。俺が「こうあるべき」と思うラインではなく、俺が「揉めるだろうな」と思うラインだ。
温泉むすめ騒動で思ったこと・フィクションにおける同性間セクハラ
俺が周回遅れなだけで皆さんの方がご存知だろう。なんで今頃温泉むすめ?というのは冒頭にリンクした記事を参照いただきたい。
まず発端となったらしい仁藤夢乃氏のツイート。
出張先で「温泉むすめ」のパネルを見て、なんでこんなものを置いているの😩💢と思って調べたらひどい。スカートめくりキャラ、夜這いを期待、肉感がありセクシー、ワインを飲む中学生、「癒しの看護」キャラ、セクシーな「大人の女性」に憧れる中学生など。性差別で性搾取。https://t.co/vw3w00zAPu pic.twitter.com/jkWRsvQKCa
— 仁藤夢乃 Yumeno Nito (@colabo_yumeno) 2021年11月15日
この温泉むすめの3キャラ見て、個人的に今揉めるラインだなと注目したのは同性間セクハラキャラ。女性のおっぱいを揉みたがる女性とか、わりといろんな作品におるよね。
揉めると言っても同性間セクハラキャラの存在を許すなという話ではない。かわいい殺し屋キャラや優しいテロリストキャラがいてもいいように、同性間セクハラキャラが許される世界観があっても別にいい。今回はTPO論(ゾーニング論と比べてすごく曖昧なので揉めやすい)で、観光地コラボという温泉むすめのポジションだから揉めたのだろう。と言えるほど温泉むすめのことを正確に把握してないが。自治体とのコラボという先入観で言っている。
じゃあ美少女アニメとかギャルゲーで出てくる同性間セクハラはどうなのか。今のところまだけっこう見かけるが、俺の予想だと「同性間セクハラもセクハラやん。引くわ」という流れは定着すると思っている。
あ、もう温泉むすめの話は終了です。帰ってください。
同性間セクハラって、「同性同士だからセーフ」という認識のもと、フィクションの世界で乱発されていた。例えが古くて恐縮だが「涼宮ハルヒの憂鬱」「とある科学の超電磁砲」とかである。マイナーなところだと「かなめも」とか。ああいうのは最近のポリコレ感覚ではまあまずアウト判定する人が多いだろう(多分)。俺も今見ると気になる。男がやっちゃダメなことは女がやってもダメというのが昨今のトレンドだ。
ちなみに同性間セクハラ、声優同士がファンサービスでやったりしてるんだよな。こちらも非モテ営業とか百合営業と同様に廃れていくだろうと予想する。
その他、現在ポリコレ的にグレーだと思われるものたち
同性間セクハラと同程度に過渡期感があるのは、さっきも書いたが
「美形ではないキャラが同性相手に本気で恋していることそれ自体をギャグっぽく扱う(明示されてないけどのだめの真澄ちゃんや金カムの若山親分は該当すると思う)」
「男性・男児へのセクハラ(フィクションじゃないけど橋本聖子やきゃりーぱみゅぱみゅやはあちゅうみたいなの)」
あたりのイメージ。
俺の価値観もまた、現代社会の空気を浴びているので、これらも、好きな作品に出てくるとちょっと真顔になってしまうようになった。まだセーフだと思ってる人が多いが、いずれ違和感を持つ人が増えていくだろうと予想する。
女性にやってダメなことは男性にもやっちゃダメというのが昨今のトレンドだ。
美人はダメでイケメンはスルー……軽視されがち?男性容姿への言及の違和感を考える(治部れんげ) - 個人 - Yahoo!ニュース
1:9で女性の多い職場に長くいるが、飲みの席等で男性への容姿言及はセーフという非対称性はあるかもな。スパーッと割り切れる問題じゃないが、誰もがたまに立ち止まって自らを省みる事は有益かと。
2022/01/22 10:12
あと昔は気にならなかった暴力ヒロインに「いや暴力はいかんでしょ」と感じる事があるのだが、現実とフィクションの境界がわからなくなりすぎ?ギャグやん?息苦しくない?でもやっぱ10年以上前のアニメ見ると「相当感覚変わったなー」と思う。
10年後には「アンパンマン、幼児向けアニメで暴力はいかんでしょ」になってるかもしれんな……実際殴るという表現にトラウマのある人はいるのだし。そういや殴られたバイキンマンが死んでしまうみたいな二次創作漫画を見たことがある。ちょっと思うことあるよね。公園の遊具も全部撤去だ!子供のおもちゃも危険だから禁止!温室で育てろ!
そうそう、そげキングに海列車から嵐の夜の海に落とされた雑魚海兵も死んでそうだよね。その描写が海兵とそのご家族の方々に不快感や不利益を与える可能性も排除できない。
ただこの辺はまだグレーまで行かない。暴力はホワイト寄り。(ホワイトか?)もっと細かく刻まれていくのかな。「ルフィの暴力は成人男性相手ならOK」みたいな。そういやNARUTOのラスボスであるカグヤをぶん殴ったのはナルトでもサスケでもなく同性のサクラちゃんだったな。やっぱ男が女を殴るのは少年誌的にまずいのか。
ドラえもんも、例えばジャイアンの壮絶なマウントパンチ(殺す気か!残虐すぎるよ)や、同級生の男子にしょっちゅう土足で風呂に踏み込まれるしずかちゃん(思春期の子、トラウマなるだろ…)とかの表現はきっと減ってるでしょ?(わさびドラほぼ見たことなし)
また、アニメや漫画にかぎらずちょい昔の実写映画やドラマでも、今見るとギョッとするシーンいっぱいある。みんないつでもどこでもタバコ吸ってるのはまあいいとして、カジュアルに女性や子供を殴る名作があり、しかも作中では「愛ゆえにセーフ」「身内だからセーフ」「殴る側はもっと痛いんだからセーフ」みたいな感じで大事にならない。寅さんとか「北の国から」とか大好きだし名作だと思うけど、今見るとそりゃないぜという描写はある。
たかだか10年前と比べても、同性セクハラやゲイ差別や家族・恋人への暴力といった表現に敏感というか、引くようになってきた。皆さんはどうだろうか?ハードゲイフォー!が子供たちに流行ってたのはいつ頃だったか…。
ポリコレって要は道徳とか常識の言い換えでは?
ただ、そうした変化をアップデートというのはあんまりしっくりこない。ゲームチェンジとかの方がまだしっくりくる。
アップデートという言い方は大変便利だからついつい使いたくなるんだけど、極端に言うと「過去の価値観は全て野蛮で、進化を重ねて我々が今到達した道徳こそが真の正義である」という思い上がりが含まれる感じがある。資本主義の先に共産主義があるみたいな。
今までポリコレという言葉を使ってきたが、これもしかして「常識」とか「道徳」の置き換えでしかなくないか?今風に名前を付けることで、斬新な概念として流行語になっちゃうの。
俺にとって常識、道徳といったものはすべて「その地域・その時代の多数のお気持ちの権力バランスによって常に変化する決め事・共同幻想」という認識。ポリコレもその一つ。何か絶対神(?)が定めてくださり全人間に生来備わってるものではなく、たまたま生まれた環境の道徳や常識に都度人間が染まるだけの、非永続的なものだ。
アインシュタインは「常識とは18歳までに蓄えた偏見のコレクションである」と言ったらしいが、それがまた流動的なので地域や世代やクラスタごとに衝突が起こりやすい。
古代人類が道徳ポイント0点で、以後人類が歴史を重ねるごとに30点、60点と右肩上がりに道徳的になっていき、現代を生きるこの俺のたどり着いた道徳観こそが100点満点、ほぼ最終地点なのだと、百年前も、百年後も、俺たちは思っているのではなかろうか。アップデートしてるのか?本当に?
俺はまあ「基本的人権」とか「人間の尊厳」みたいなことがわりと重視される時代と国で育ってよかったぜと心底思っているし、今さら人権が軽視される独裁国家には絶対行きたくないが、これは神から授かった正しい道徳観なのだとは考えていない。たまたまや。
参考までに、過去にこのようなブクマをしていた。
こんなことも言えなくなった?そんなことは昔から言うべきではなかったのだ ライター・武田砂鉄さん:東京新聞 TOKYO Web
気分としては同意なんだけど、いつの時代の人たちも「今、私の抱いている道徳こそが最終完成形。人類は進歩しこの時代に真の正義は確定したので、世界をそこに到達させよう」と思ってるんだよね。百年前も百年後も。
2022/03/07 17:34
三流プログラマがなぜ米マイクロソフトの開発者になれたのか? ガチ三流プログラマが超巨大クラウドの中の人に転生した話。Regional Scrum Gathering Tokyo 2022
常識とか道徳とかいうものは常に変遷している。自虐は流行らないという感覚もその一つかなと。ポリコレで息苦しいと言われるが、今の時代が特別窮屈なのかというと疑問で、いつの時代にも窮屈な人は相当数いたろう。
2022/01/17 11:53
「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうか―エイプリルフールの同性婚ネタについて - あままこのブログ
イジメとお笑いは地続きではっきり区分けできないのは実際その通りだが、全ての道徳は突き詰めれば同じように相対化できてしまうので、現実の社会運用上は「マシそうな判断」を試みていくしかないよな
2022/04/04 10:07
「性自認は女性」と説明の利用客、女性トイレに侵入容疑で書類送検:朝日新聞デジタル
議論はあって然るべきだが、社会のルールづくりに正解などない。法律もマナーも道徳も、その時代その地域の権力というか大衆のお気持ちによって成立している幻想でしかない。この前提は折りに触れ確認したいものです
2022/01/07 00:28
ともあれ「自分は道徳側の人間なので正義だ」「貴様は不道徳側なので悪だ」という前提に立っている人とは対話が難しい。だって完全無敵じゃないですか……。
「犯罪を肯定する」「ステレオタイプだ」「役割の押し付けだ」みたいな道徳的正論って、道徳っぽいだけに反論しづらいのだが、道徳は道徳でしょせん大変曖昧で流動的なものであり、俺たちが今「実に配慮されてるね!」と楽しんでる作品も10年後に「今見るとありえん」と感じている可能性はあるだろう。
たまたま自分の価値観が何かしらの道徳に合致したからといって、何か無条件に正義側に立てる、正当性があるんだみたいな認識は危うい。単に権力闘争があるのではないか。陣取り合戦みたいな。
じゃあそんな流動的な道徳や常識で殴ること以外でどんなコミュニケーションすればいいんだよというと、俺個人の考えは以下のとおりだ。
もっと俺たちはお気持ちを叫ぼうぜ
もうだいたい書きたいことは書いたのだがダラダラとまとめに入る。
俺たちはあくまでも雰囲気で正義を決めている。その自覚がないと、心からピュアに絶対正義が悪を糾弾する話になりがちなのは、注意が要ると思う。
今は本当に党派性の時代で、「常に100%悪いクソ陣営のあいつら」を「常に100%正しい大正義陣営の俺ら」が攻撃することばかり目立つ。どっちサイドも敵が全て間違っていることを嘲笑し、常勝無敗、日々大勝利し続けている。これが本当のWin-Winか。
何かというと正当性の奪い合い。「味方陣営が100%正しく、敵陣営が100%邪悪である」という結論がガチガチに固定された状態で、自陣営の正当性を叫び、敵陣営の主張がいかに不当かにこだわる。
しかし、人間はもっと曖昧で複雑なものだろう。ウヨクやサヨクやオタクやフェミを日々殴る事で何か手応え感じてる人いる?完全に不毛なだけじゃない?本当の目的地はそこか?それ、本当に敵か?殴ることで何を得たい?ネットで他者攻撃によって得られたもの、見合うだけのものあるか?(ここでいくつかの祭りでの勝利の高揚が去来)そりゃ世界も断絶しますわ。でも本当に世界の半分がそんな極悪人なのか?そんなわけなくない?
もうちょい敵も味方も三方得することを考えられないかな。
そこで俺からの提言というかだが、俺は世の中を自分にとって「良くなる」ように干渉するには、もっとみんな常識や正当性を掲げることなく、正直に自分のお気持ちを表明するのが良いと思っている。相手を責めるユーメッセージから、自分を開陳するアイメッセージへ、アサーティブコミュニケーションへの転換である。
もちろんコミュニケーションの目的はいろいろなので、目的によっては正当性を掲げてもいいが(法に基づいた権利主張などはそうなる)、正当性アピールはどっちかというと身内へのアジテーションなどに向いた手段だと思う。ネオナチから世界を守るんだから仕方ないじゃんみたいな。
プーチンには俺たちが共感できないだけで彼の正当性はある。正当性の話になると、だいたい常識論になる。常識を主語にするとうまくいかないよねというのは1個前・2個前の記事でも広めたかった俺のメッセージだ。
宗派が違うのだから、正当性がある、ないという常識論では話にならない。しかし、正当性があるかどうか知らないが、俺はこういうのはしんどいんだわというこのお気持ちは絶対に存在しており、大事なものではないだろうか。
お気持ちお気持ちってバカにされすぎじゃない?これもまた常識とは逆方向に相手の話を無効化するためのマジックワードにされてない?本当はすごく大切なものじゃないか?
俺は「道徳的に正義なんだからこっちに正当性があるよね」的なロジックを受け付けられない。それじゃトートロジーというか、その大本の正義は誰が決めて、何が担保してくれてるんだよという。正義や法の根拠になるのはお気持ちしかないっしょ。
そのお気持ちに共感する人が増えれば、常識も、法さえも変わる。人間は共感する生き物だから。大半の人は鬼や悪魔じゃないのである。理解と共感があれば裏返る。
白人専用座席に黒人が座るのはかつて違法だったが、ローザ・パークスの逮捕上等な勇気と、彼女に共感した黒人たち(だけではない)のお気持ちが爆発して白人専用座席は撤廃された。いやそれどころじゃない、歴史的・爆発的なゲームチェンジが起こったのだが。公民権運動は暴力の勝利ではなく、ましてや論破の勝利でもなく、共感の勝利だろう。ただ、共感されるナラティブを広めるのはどうしても時間がかかるとも思うが。
ちな昨今マーケティングから政治、戦争まで幅広く用いられるようになったナラティブとは、広く共感を得やすいような、食べやすい形にだんだん洗練されていく物語の事だと理解している。
あと「無知から来る恐怖から来る憎しみ」みたいなのもあるよね。
子供に不寛容だった俺が寛容になった話
再放送なのね。しかしこれは納得感がある。人間は知らない何かに対して警戒したり敵意を抱くのがデフォルト設定だ。言うことなすこと全てが不快で非常識なあいつらも、話してみたら全て許せるようになったりする。
2022/09/21 09:48
相手が何考えてるかわからないうちは警戒心とか恐怖心から、やることなすこと邪悪に見えて、憎しみを増幅させてしまいがちだ。しかし相手が自分と同じただの人間だと理解できた途端に一気に許容度が上がる。黒人は差別して当然と思っていた多くの白人も、公民権運動に触れる中でアハ体験みたいな「あ、同じ人間なんじゃん」「そんなに苦しんでたのか、すまんな」的な気付きがあったのではないかな。
終戦後の日本人も「なんだ鬼畜米英、けっこう良い奴らじゃん」みたいな反転があっただろう。逆もまたあっただろうし。
人は理解できないものを憎むが、他人のお気持ちを聞き、知り、理解し、共感することで確かに溶け始める気持ちもある。人情は廃れず。たいがい誰だって、「この人たちはこれをやられるとつらいんだな」とわかってることはやりにくい。大多数はただその痛みを知らんだけなのだ。
逆に言うと、どんなに善良で良識的な人たちでも、自分が理解できないものやよく知らないものに対しては果てしなく残虐になれるという話でもある。ロシアの田舎のお爺さんお婆さん、ネオナチ憎しでウクライナでの虐殺を支持してるけど、多分大半は家族と隣人を愛する良い人たちだぜ。
誰もパーフェクトヒューマンではないけど、人間が共感する(できる)生き物である以上、総合的には根は優しい人の方が多いはず。根っからの悪党もいるだろうけど、大半は「環境次第で善良な市民、卑劣な殺人鬼どっちにでも転ぶ普通の人」だろう。悪魔なんだから殺しても燃やしてもいいと思っているデビルマンの群衆もKKK団も、アプローチ次第ではみんな良い奴になり得る。人類、そういう風に進化してきたんじゃないかな。有名な知恵袋でも、社会科学としてはそういう解釈ができると言っていたと思う。(俺の解釈だが)
まあこれは理想論であって、怒り狂ったプーチンの群れに襲われたら撃退しなきゃならんというのはあるけど。大半の人は怒り狂ったプーチンではない。
意見の異なる人々、理解できない人々を全員最初から悪魔だと決めつけてかかるよりは、だいぶマシな世界になると思うぞ。分断の時代分断の時代って言うけど、俺らが積極的かつ必要以上に相手を悪魔化して分断を深めている面はあろう。俺も含め、みんな手抜きしたいからな。でも、複雑な相手を理解するなんていう面倒くさいことにもできる範囲で向き合えば、だいぶマシになるんじゃないか。
あと何度か言ってきた正しさ(常識、道徳)の流動性を踏まえると、現在の「正しさ」はあくまでも「今の時点で」という保留が付いた「正しさ」でしかないこともわかる。
法があるから人がいるのではない。常識や道徳が流動的ならば法律も当然時代で変わる。法律は守らなきゃだが、法律が間違ってると思ったなら、ローザ・パークスのように戦ってもいい。そんなもん、その時代、その地域のノリで決めた永久に暫定版のものでしかなく、絶対神(?)に授けられた永遠のルールじゃないんだから。(もちろん憲法もね)
市民のお気持ちが政治家のお気持ちを動かし、時代に合わせた法改正に至るのである。それは決して固定されない。更新し続ける必要がある。
ルールは大事で守らねばならないが、絶対ではない。既存ルールを絶対視し、「俺のやってることは現時点で合法である=つまり俺が正しいので文句言ってるやつは悪」というような、暫定版の正当性に乗っかって他人の気持ちを踏みにじるのはないよねという考えも生まれてくるのではないか。
ちとそれるが、「嫌なら転職しろ」「嫌なら見るな」と、「嫌なら戦え」「嫌なら声を上げろ」は、どっちも一理あると思うんだよな。別に前者は正論でもなくない?改善せずに亡命とかしても、わりとこっちが損してる上に、元の場の悪は温存される。
いかなるときも100%被害者という絶対大正義ポジションに安住すること
それと補足で、被害者=道徳的絶対正義のポジションにこだわりすぎない方がいいと思う。絶対正義な被害者の地位にこだわっていると永遠に被害者のままになるというか、ある種の麻薬、呪いにもなり得る。
これについては俺の敬愛する水島広子先生や岸見一郎先生などもほぼ同じことを書いているが、被害者ポジションにしがみつく限りは、憎き相手に人生を支配され続ける。他者が自分の望み通りに変わることなどないからだ。脳内でどれだけ論破し、土下座させ、死刑にしたところで、現実の相手は今頃パフェとか食ってる。それはアンコントローラブル過ぎる。自分の人生を、主体性を取り戻して、力強くコントローラブルに生きようやという話である。
(別にクソ野郎を許せって話ではないよ)
何しろ「この俺の正当な正義のお気持ちに寄り添わないお前は非常識で不道徳だ」と正当性や社会常識で相手を殴ろうとするのはコミュニケーションの質が劣悪になりがちだ。
しつこいけど、プーチンには道徳的絶対被害者プーチンの正当性があり、西側のナラティブに包摂されてない人たちには共感されることもあるわけで、やはり常識というのは陣取りゲームに近い。しかしプーチン並に価値観を共有できない相手には(以下自重)
何か嫌悪感を抱いた表現があった時、「○○なので自分には耐え難いなぁ」と言えばいいところを「この作品は非常識で不道徳なので○○に見せるべきではない」みたいに正当性を拠り所にしようとしていないだろうか?中には後者に共感する人もいるかもしれんが、俺は最終的には前者が最強だと思っている。
「そうか、そのようにしんどいのか」と周知するのだ。あくまでもアイメッセージでな。多くの場合は「そうかー、それはしんどいわな。なら別に、やり方変えたるわ。別に大事なとこじゃないし」みたいな共感に基づく調整が発生すると思う。
そううまくいくかよというご意見もあるだろうが、正当性で殴り合っても何も良くならないなら、北風と太陽じゃないけど押してもダメなら的にオプションを持ってみてもいいんじゃないかな。得しかないと思うんだが。
ちなみに「共感されづらい属性(中年男性とか)」が包摂されづらい事についての話がいわゆる「かわいそうランキング」なのかな?この概念も便利使いされてるけど、実は理解が曖昧なんだ。かわいそう概念はマーケティングだという話をちきりん氏が書いてた気がする。感動市場だっけ。だがここはまだまだ未開拓だと感じる。人間は鬼ばかりじゃないよ。
表現規制には基本反対だが、しかし……
最後に、ポリティカル・コレクトネスがどうであれ、人類社会は基本的に表現を減らす方に進むと思うが、そうなると「逆に規制のおかげで増える表現」が出てきてバランスするのだろうか?あるいは「ポリコレにそぐわない表現はバレないようにアングラでひっそり」となり、世界が文化浄化されるのか?世界を(文化大)革命する力を?
たぶんこの世界が俺に都合の良いところでバランスする可能性は低いと思うので、ニーメラーの警句も胸に抱きつつ、許容度は広めに取りたい。俺が嫌いな表現も積極的に守りたい。(表現の自由戦士)ルールは一度厳しくしちゃうと緩めるのはめちゃくちゃ大変だ。
俺はあらゆる反吐の出るような、あるいは目を背けたくなるような、不道徳、不謹慎、エログロナンセンスな表現が規制されずに残ってほしい。ざっくりと、こういう考えを持っている。
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かつて国立メディアセンター構想について浦沢直樹が「国が選ぶ“良い漫画”だけでなくエログロ含めけしからん作品あっての漫画文化」(大意)と述べていた。日本漫画のフリーダムさは宝、規制は一度したら元に戻らん
2022/04/22 09:45
一方で、共感によって特定の表現が減ったり増えたりすることはむしろ望ましいと思っている。どういうことか?
つまり、同じ表現であっても「勘違いや誤解で無自覚に人を傷つけるような表現をしてしまうのは誰も得しない。バッチリ理解した上でコントローラブルに表現するならそれは作家の選択として尊重する」ということだ。
漫画家に「貴様の漫画のこの描写は不道徳だ!」と批判することで表現を狩るのではなく、「こういう描写は嫌だなあ」みたいな読者たちの発信が共感を得て徐々に世界に浸透し、いつしかそれに共感した漫画家の方が自ら「この描写は違和感あるな。ちょっと引くな」と思って描かなくなるような。遠回りのようで、陣取りの最善手はこれだろう。
その一方で不道徳なことを意図的に描きたい漫画家は今以上に自由にフリーダムに、そして自覚的・確信的に不道徳描写を連発するみたいなのがいいと思うのだ。いかなる犯罪行為や醜悪な欲望や危険な思想も、現実世界では絶対に許されないようなことでも、商業シーンでの創作表現として存在できる今の日本の自由は堅守したい。TPOやゾーニングについてはややこしいのでまた別途。
まあ、実際はそんな都合良くスパーンと分かれず、「これはどっちや」みたいなグラデーションがあると思うが。
で、
のだめの二ノ宮先生。
世間からの圧力などではなく、自身の意識の変化によるものとして「コンプラとかじゃないです」と伝え、「私の中にもいろいろな時代があるようです」「単に自分が引くようなものを出すのは嫌なので」とファンのコメントに返答しています。
まさにこれよ。俺の言いたいのは。他人が取り締まるもんではないが、世の中というものはちょっとずつ変わる。共感が社会に一定量溜まるとゲームが変わっているのだ。良い方に?それは知らんがな!誰かにとっては良く、誰かにとっては悪く、誰かにとってはどうでもいい方に変わるだろう。陣取りですからね。プーチンには負けないぞ。
あと余談だがねとらぼさんはTwitterの「のだめ」さんをただのファンだと思っているっぽい?その人はのだめを名乗って二ノ宮先生から話しかけてもらえる資格のある恐らく唯一人の方なのだが、一般人だからあえて伏せてるのかな。まあいいや。
つれづれ終わり。
まとめ
「道徳や常識は必要っていうか全人類が内在化しているが、絶対的な根拠があるわけではない」
「よって時代や地域によってコロコロ変わる」
「別にどんどん良くなっているわけではない」
「それを踏まえた上で俺たちはお気持ちを叫び合い共感し合うべき」
「金カムで一番好きなキャラはチンポ先生」
コメントに返信
つれづれなるままにポリコレ - はてブの出来事
- [さらなる検討を要する]
考えさせられる。「ポリコレ」は元々皮肉なので、今後も雑な用法しかないという考えですね私は。あと「道徳」の問題は記載の通りで、それをパージした言葉が「倫理」「公正」だという理解なんだけどこれは長くなるな
2022/10/09 23:05
たしかに、ポリコレという言葉を使うのはポリコレを攻撃する側だけですな。攻撃されてる人たちで「私たちはポリコレに準拠しています」とか「この作品はポリコレに反していてけしからん」とか言ってる人なんかおらんしね。
つまりは気に入らないやつを一括りにしてレッテルを貼るという意味で「ネトウヨ」とかと同種の言葉であり、そんな言葉は使わん方が対話が圧倒的に成立しやすくなるだろう。やはりポリコレは悪。ポリコレという言葉を狩ろう。言葉狩りの時間だあ!
つれづれなるままにポリコレ - はてブの出来事
“「ポリコレ」は皮肉””良い意味で使う人なんかおらん”とあるけどはてなを見る限り道徳的規範だとして使ってる人はまま居る気が。元々賤称だった「オタク」に近い印象。僕の解釈はコレの後者 https://onl.bz/MwQG4Bu
2022/10/10 17:35
なるほど!パッとは思い出せないけど、言われているとポジティブな意味で使う人も居るっちゃ居るのかな?ご指摘ありがとうございます!(主体性ゼロ)
提示していただいた前者の方が良い意味でのポリコレ、後者が悪い意味でのポリコレみたいなことですね。ディズニーのSWは未見ですがSWファンの怒りだけは多方面から伝わってきました。
まあ良いポリコレも悪いポリコレも、俺たちが勝手に主観で決めつけてるうちに、個々人の思惑とは関係なく圧倒的な時代の空気としてどこかに収束していくのでしょうが。そうした圧倒的な流れ(ローザ・パークス現象みたいな)って選挙の投票結果とかと同じで、アンコントローラブルなんですよね。個人にはアンコントローラブルだけど、個々人が投票しないことにはチャンスすらない。それでもお気持ちを開陳しながら日々に揺蕩っていくしかない。僕はここにいるよと示すしかない。