はてブの出来事

備忘録です。

井ノ原氏を見て感じた忖度論と、作品と人物は別論 追記

※このたび堂本光一氏についてデマを発信してしまったので訂正とお詫びの記事を出しました。

shin-fedor.hatenablog.com

 

 

 

忖度は急にはなくせない

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ジャニーズの会見で、井ノ原快彦氏の態度が素晴らしいということで株が上がりまくっているね。

 

1個挙げると、松谷創一郎氏が「メディアによるジャニーズへの忖度」に言及した際のこと。東山氏は「もちろんそんなことは求めません」と発言した。この言質は大変重要なのだが、しかし実はこれだけではちょっと消化不良な回答ではある。

 

このときの井ノ原氏が良かった。

 

「もちろん変えていきたい。でも、忖度というのは、そんな急に無くせるものではない。皆さんの協力も必要だし、時間もかかる」

 

という旨の回答を返したのだ。どういうことか?わかりやすい回答なので余計な解説は不要かもしれないが、一応噛み砕いて整理すると、

 

  1. 忖度というのは、上の人間を恐れる下の人間が「上の人はこう望んでるに違いない」と勝手に想像して行うものである。
  2. そのため、忖度される側が「じゃあ今からやめましょう。やめてくださいね」と言ったところで、やめられるものではない。
  3. 下の人間はそんな言葉を聞いても半信半疑だし、「口ではこう言ってるが、そうはいっても忖度しないと関係が悪化するのではないか?」「結局忖度した方が喜んでくれるし、関係も良くなるし、便宜を図ってくれるのではないか?」と考え、「念のため」に忖度を続ける。
  4. この状況はすぐには改善できない。長い時間をかけてコミュニケーションし、お互いの信頼関係を変化させることでしか実現できない。

といったところか。

 

忖度の厄介なところは、上の人間が「そんなこと命じてませんが?こいつが勝手にやっただけ」と言えてしまうところ。でも実際プレッシャーはあるわけだ。

 

Mステの皇達也プロデューサーが週刊新潮のインタビューで語っていた話。

 

皇Pが、非ジャニーズ系の男性グループをMステに出演させられるかどうか、ジャニー喜多川に探りを入れたところ、ジャニーは

 

「素晴らしいね。ぜひ出演させたらいい。ただ、被っちゃうから、もううちの子たちは出さない方がいいね

 

と言ったのだそうだ。

 

これ、言葉の上っ面だけ見たら、「素晴らしい。ぜひ出演させたらいい」と言っており、「出演させるな」とは一言も言ってないわけ。むしろぜひ出せと言っている。でも、ジャニーズタレントを全部引き上げさせると言われたら、皇Pから見たら脅迫されたも同然だよね。

 

これは、

「たしかに忖度しろとは一言も言ってないが、実質的には忖度せざるを得ないプレッシャーをかけている」

という状態なわけ。

※ツッコミがあったので訂正。これはまっすぐに「忖度を要求しているケース」、あるいは「事実上命令しているケース」でした。

 

というかそもそも忖度という言葉の定義上、常に忖度は「下の者が勝手に上の者のお心を慮って行うもの」なんだよ。

 

圧力をちらつかせて“自動忖度機”を大量生産するこのジャニーズ事務所のこうした方法論は、2019年7月にやっと表沙汰となった。

 

ジャニー氏の死去から8日後、公正取引委員会ジャニーズ事務所が民放テレビ局などに対し、SMAPの3人を「出演させないよう圧力をかけていた疑いがある」として「注意」をした。

朝日新聞GLOBE+より)

*1

*2

である以上は、上の者であるジャニーズ事務所が、マスメディアに対して「対等な取引先に過ぎない」という態度を取り続け、マスメディアの信頼を獲得することでしか忖度は無くせないんだ。

 

  • 東山さんの言葉に安心して非ジャニーズタレントや脱退タレントを起用したら、ジャニーズさんの不興を買ってしまうかもしれない。
  • ウチだけバカ正直に忖度をやめても、ライバル局は忖度を続けて優遇されるかもしれない。
  • そんなのは嫌だ、機嫌を取りたい。

 

こういう心の働きが、メディア側にはどうしてもしばらくは残るよ。*3あんなに強大な権力を振るったジャニーズさんが「これからは忖度なしでいきましょう」「うちに何か問題があったら報じてください」「脱退タレントと共演OKです」と言ったからって、メディア側はそれをただちに鵜呑みにするわけにはいかない。探り探りというか、おっかなびっくりでしょう。

 

これを踏まえているからこその井ノ原氏の満点回答だった。そう、そんなスパーンと「なくしましょう」「せやな」で無くせるようなもんじゃないのだ。そんなんだったら誰も苦労はしない。「できらぁ!」と即答してしまうのは無責任な態度だ。

 

長年権勢を振るってきたジャニーズ帝国が、「本当に変わったのだ」とメディアが納得できるまで、忖度はどうしても続いていく。それはそれとして認めつつ、でも変えていく意思があることを、「忖度される側」のジャニーズの幹部である井ノ原氏が、腹を割って率直に発信したのが大きい。

 

井ノ原氏の率直さは、メディア側から見ても「本当に変える気があるんだ」「時間はかかっても変わっていくのかな」と思わせるものだったのではないだろうか。その場しのぎの安易な綺麗事ではない、現実的かつ誠実な回答だったように思う。すぐ簡単に断言する人って信頼しづらいもんな。

ちなみにジャニー氏メリー氏の代理人としてメディアコントロール全般を担っていた白波瀬傑副社長は、会見に出るわけにもいなかったのか、会見の直前に辞職したらしい。そうする事で自ら過去の圧政の罪を一身に引き受けたと見れないこともなく、いずれにせよメディア側の心理的安全性は向上しそうだ。

 

東山紀之が降板の「サンデーLIVE!!」、「ジャニーズ事務所会見」を報道せず…野上慎平アナ「いろいろありましたけれども…最後までご視聴ありがとうございました」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

井ノ原氏が「忖度というのはそんな急には無くせない、皆さんの協力も必要だし時間もかかる」と言っていた通りかな。ジャニーズそのものに対する忖度だけでなく、社内の権力関係から探り探り変えていくしかないのかと

2023/09/10 19:52

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それに、直接「対ジャニーズ」での忖度だけじゃないんだよね。メディア社内での忖度もある。「ジャニーズと親しいA部長を怒らせないように、安全運転で会見はスルーしておこう」みたいな社内忖度も複雑に絡み合うはずだ。

 

A部長はジャニーズの真意を図ろうとするだろうし、現場のディレクターはA部長の真意を図ろうとするだろう。しばらくはそういうことが続く。

 

※ここから追記※

この「A部長」という発想がどこから出たんだという話だが、これも会見で井ノ原氏が

 

「多分、(メディア側の)ちょっと古いタイプの社員の方が、昔ジャニーやメリーに言われた事をずっと守り続けてしまっているんだと思います」

 

みたいなことを言ってたんだよね。これも良くて、つまりメディア社にかかった呪いを解くための助け舟になる発言なんですよ。

 

井ノ原さんにこう言われたら、メディア社内に実際にいるであろう「ジャニーズへの忖度を他の社員にも強要する古い社員」はトーンダウンするし、他の心ある社員たちにも勇気が出てくるでしょ。いちいち気配りに抜かりがないんだよ。本当にスマート。アイドル以外の何の仕事やっててもめちゃくちゃ有能なタイプだと思う。

※追記ここまで※

 

ところで近年「忖度」というキーワードが注目されるようになったのは、森友事件のときだろう。俺も当時記事を書いた。

 

shin-fedor.hatenablog.com

 

忖度は「される側」である権力者が極力気を遣って、「自分への忖度」が発生しないように心理的安全性を作るしかないんだよ。これは職場でも家庭でもなんでもそう。

 

はてなじゃ嫌われ者の橋下徹氏が、この時は良いことを言っていた。ので上記記事では記録として残しておいた。*4

 

作品と人物は切り離せないこともあるだろ

別記事にしてもいいんだけどこれもメモ代わりにまとめて書いとく。忖度の話は終わりです。

 

今回はそんなにフォーカスされてないけど、芸能人の不祥事があると出てくるのが「作品に罪はない」という議論である。

 

「作品と作者は別物だろう」

「演者の人格と演技の良し悪しは別物だろう」

 

その通りっぽく思えるが、これはいわゆる二択の罠なのだ。別物と割り切れるケースと割り切れないケースが、誰にでもあるはずだ。人物と作品はある程度別物だし、ある程度地続きだ。めっちゃグラデーションだし、同じ人の中でもケースによって全然変わって当たり前なわけ。「たいていは割り切れるけど今回は無理」ということ。

 

清純派として売っていた酒井法子がシャブを決めて逮捕されたら、イメージガタ落ちだし、白いクスリとか揶揄され、のりピーが今後紅白歌合戦で歌うことは想像しにくい。世間のイメージは「シャブ」で上書きされてしまった。「ひとつ屋根の下」の再放送も厳しい。作品と演者は別物と割り切れない人が多く出るのではないか。

 

しかしポール・マッカートニーデヴィッド・ボウイがクスリで逮捕歴あることなんて、ほとんど誰も気にしてないだろう。それは彼らの属性がロックミュージシャンであり、外国人だからだ。日本の清純派アイドルとはダメージが段違いなのである。

 

チェブラーシカの作者の名前を冠した児童文学賞が設立されることになったとき、作者の娘が反対の声明を出して話題になった。以下引用する。

 

敬愛するマリア・ヴェデニャピナ様!

ロシア国立子ども図書館が、私の父エドゥアルド・ウスペンスキーの名を賞に冠するつもりだと知りました。賞に父の名をつけることに大きな悲しみと遺憾の意を表します。

 

国家的な賞の名となる人物というのは、なによりもまず、善良で道徳的でなければならないと考えます……。私の父は生前ずっと家庭内暴力をふるっていた非常に残酷な人でした。それが彼の家族に対する基本的な接し方だったのです……。

 

暴力は、肉体的、精神的なもので、娘である私や妻である私の母に対して、孫たちや再婚した妻(有名なテレビ司会者のエレオノラ・フィリナ)の子供たちに対して恒常的に繰り返されていました。

 

不幸にも、この乱暴で恥知らずな行為が、支配と強要が、常に彼の人生のノルマになっていたのです……。それでも、テレビの撮影クルーがやって来るとなると、孫たちを招いて、偉大な作家の幸福な家庭像を演出しなければならない。それで見せかけの平穏な生活を装うということもノルマになっていました。

 

飲酒のことも含め自分の問題をわかっていた父は、きちんとした医師のところへは行かずに、ストルブン(破壊的な全体主義セクトの創設者、ヴィクトル・ストルブンのこと)の宗教セクトを信奉していて、彼の「治療」を受け、このセクトを経済的に支援していました。父は、このセクト子供たちに制裁を加えていることを知っていましたが、そのことで躊躇することはありませんでした。彼はストルブンとそのメソッドにぞっこんで、知人や友人たちも連れていっていたのです。

 

創造的なアイデアで人びとを魅了することのできる、間違いなく才能ある人物でありながら、父は自分の人間としての欠陥を克服することはできず、他人に好意的に穏やかに接するということもできなかったのです。

 

私の意見が聞き入れられることを願っています……。

 

子供たちも含め、自分の家族に長年にわたって暴力をふるってきた人物の名は、児童文学のような人道的な分野の賞に付されるべきではないと考えます……。

 

敬具
タチヤーナ・ウスペンスカヤ

 

クーリエ・ジャポンより)

 

これ知った上で「チェブラーシカを前のようには楽しめなくなった」という人もいるだろう。特に自分がDV被害者だったりしたら辛くなりそうだ。こういうことは世の中には溢れ返っているんだよ。

 

それに対して「は?なんで?作品の素晴らしさは全く変わらないじゃん」というのは簡単だけど、そう言ってる人は、その不祥事なりマイナス属性なりが、たまたま「俺にとってわりとどうでもいいこと」だっただけだったりせんか?

 

良くも悪くも(良くも大事!*5)、背景知識が増える事で、作品への感じ方が変わるのは当たり前なのだ。

 

俺は基本的には「作品は別と割り切ってる」タイプで、好きなアーティストだけど人間としてはクソやなというのはたくさんある。新井浩文はもう復帰してほしくないけど、彼が出ていた大河(真田丸とか)を見るときはけっこう切り離して見れている。が、新井浩文が出ているだけで過去作品も全部無理!という人がいるのは全然理解できるよ。

 

渥美清のお子さんが父のDVを告白していたのもショックだった。知りとうなかった。が、俺の脳はここも切り離してくれる。寅さんは寅さんであって、田所康雄氏とは別だ。が、DV被害者が「もう寅さん見れない」というならそれは全然理解できるよ。

 

さっきののりピーの話じゃないが、作風や芸風にもよるよな。家族愛を売り物にしたドラマの優しいパパ役がDV発覚するのはきついわけで。君への永遠の愛を誓う歌で知られるシンガーがしょっちゅう未成年相手に不倫ばかりしてたら、感動的な歌詞も気持ち悪く感じるようになってしまう。*6

 

フィル・スペクターが邪悪な殺人犯だからといって、音楽史に残る名曲・名盤の数々を全部廃盤にするのは現実的ではない。

 

人間の脳はこういったものを、ご都合やお気持ちに合わせて仕分けしてくれる。誰もが罪と功績の軽重を無意識に天秤にかけている。脳さんにも限度というものがあるが。

 

思考実験として、ものすごく極端な例を想像してほしい。ある素行不良な役者がいたとして、その素行不良のレベルをいろいろ調整して想像してみよう。

 

・ヘロイン所持で逮捕

・酔っ払って店員を暴行して逮捕

・マネージャーへの性加害発覚

・生放送中に司会者を射殺

・貴方の目の前で貴方の親族・友人を皆殺し

 

上の三つぐらいは「作品は別じゃん」と強がれる人も、真ん中へんから「さすがにきついっす」となるのではないか?もちろんこんなもんは極論だけど、地続きではある。「別物と常に言い切れるわけではない」ということは言えるんじゃない?

 

ので、あんまり二択の議論にして「俺はこっち派」みたいにポジション取るのは不毛なのではないかと思っている。「さすがに今回のは無理っす」と言える方が自然だし、健全ではないか。

 

だいたい「もう無理っす」って言ってる人だって、別に「常に作品と人物を同一視している」わけじゃねえだろうよ。たいていの作品では「別」と切り分けてるけど、「これはさすがに無理っす」という閾値を超えてしまってるだけだ。

 

ブコメへの感想

・それは普通に「忖度を要求」しているケースなのでは?

・「忖度を要求」じゃなくて、もはやストレートに命令しているケースなのでは?

それはそうやな!上記の両者は言ってることは異なるが、どちらも合ってると思う(確実に俺よりは合ってる)。ぐうの音も出ねえ。俺どうかしてたのかな?

 

書き直すかどうかちょっと考えるが、ちょっと俺がバグった背景というか、意図を説明しとくと、今って「事実上○○」を「○○」と認識しない人が多いと思うんだよ。

例えば交渉決裂したときに「アンタそういえばお嬢さんいるんだって?高校生なんだね、可愛いだろうねえ」とか言うのは、俺らの感覚では「娘に害を加えられたくなければ言うことを聞け」という、事実上脅迫じゃん。でも最近って「お嬢さんを可愛いだろうねって言っただけじゃん?」と解釈する奴が多い、めっちゃローコンテクストな世の中になってない?

例えば森友のとき、安倍さんが「役人が大臣に忖度することなどあり得ない、官僚への侮辱だ」と言い出して「安倍さんやっぱアホなんかな、忖度の意味わかってんのか?」と思ってたら、芸能人とかヤフコメとか世間的には「そうだそうだ、安倍さんの言う通り」って同意する反応が多かったんだよ。

安倍さんがああいう強い言葉を使うときって、多分「自分にまったく心当たりがないとき」なんだよね。自分や妻が財務省の値引きに関わってたら議員辞職すると言ったときも、「自分に心当たりがない」故に、辞職なんていう強い言葉を使ったんだ。

つまり、安倍さんは「俺は役人に忖度を強要した記憶がないなあ。ということは、役人の忖度など絶対にない」という思考をしたと考えられる。そしてその安倍さんの発言を世間の多くの人が支持した。

「あれ?もしかして今って、露骨に、直接的なやり取りがないと、世間的には忖度と認識されないのか?」「忖度の意味とは?」ってなったんだよね。これ、今ってもうめっちゃローコンテクストな表現じゃないと「事実上○○」は通用しないんちゃうかなと。

 

・あれは全部台本があった

マジかよ俺ピュアすぎんな。いや、当然「弁護士と相談して用意しておいた想定問答」はあったんだろうとは思うが(例えば性加害を知っていたかどうかについて、変な言質を取られないように)、事前に質問通告なんかしてないだろ。してたらあの魑魅魍魎のような記者たちの誰かがバラすわ。それに台本あるにしてはジュリー氏の発言支離滅裂だったぞ。

 

ブコメへの感想2

・皇に対するジャニーの発言は、売り言葉に買い言葉?

いやー、皇さんはジャニーの完全な子分らしいので、喧嘩なんか売るわけないよ。

多分、「最近大人気の、非ジャニーズの男性グループをMステに出すかどうか」がテレ朝で議題に上がったとき、ジャニーに内緒でこっそりブッキングしたらジャニー&メリーが激怒してテレ朝を滅ぼされるから、巫女役の皇氏がおそるおそる事前にお伺いを立ててみたんじゃないの。

 

・井ノ原氏の演技に騙されてる

マジかよ俺チョロすぎんな。けっこう記者からの思いがけない質問にもしっかり真面目に答えてるように見えたけどなぁ。あのコミュ力と安定感凄いと思うよ。まあ詐欺師もコミュ力と安定感凄いのかもしれんけど。ああいうボスの下で働きたいね!

 

・白波瀬がいないのはいかんでしょ

これは文春の編集長インタビュー見て、俺も「いなきゃダメだったんでは」という感想に傾いた。

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でもきっと白波瀬&顧問弁護士に会見させるの、クリティカルすぎるんだと思うんだよな。クリティカルすぎるからこそ逃しちゃダメでしょという話なのはそう。そらそうよ。そういうアレよ。

 

・どうなったら忖度が解消されたといえるのか?

これは人それぞれの感じ方だからなあ。決まった基準なんかないでしょ。

俺はMステなどの歌番組に非ジャニーズの男子グループ(SKY-HI氏の会社の子たちとか)がバンバン出るようになったら、紅白やCMの異常なまでのジャニーズ率が下がってもうちょい多様性が出てきたら、新しい地図がキムタクや中居くんや森くんとハイタッチしてたら、各局がプレデター ジャニー喜多川の悪夢と日本メディアの罪」みたいな特番をやるようになったら、「ああ、随分良くなったんちゃう」と感じると思うよ。

 

・きついきつくないの問題じゃなく、作品を発禁したりするなという話

それはそう。

特にサブスク系はマジで困る。瀧が捕まった途端に電気の音源がSpotifyでもApple Musicでも聴けなくなって、「ああ、やっぱ大事な音源は円盤も手元に残してた方がいいな」と思うようになった。

クリス・ベノワが妻子を殺して自殺したとき(俺のプロレスファン人生の中であれ以上の衝撃はなかった)、WWEはベノワの名前をあらゆる記録から抹消し、映像作品からも一度削除したが、その後緩和して、過去記録・映像としては閲覧参照できるようになった。

元ロッテの小川博が年配の女性から金を奪った挙げ句川に投げ込んで殺した事件があったが、それが理由で10.19伝説のダブルヘッダーの映像を流せなくなるなんてことは野球ファンからしたら損失だ。

よって、「発売するな!」「放送するな!」というのには俺も反対するものである。フィル・スペクターについての言及はそういう話でもある。

じゃあ俺が何が言いたかったかというと、「は?なんで?作品と作者関係なくない?」という議論に対して「関係ないことはないだろ」ということが言いたかったのだ。

*1:もちろん露骨に「新しい地図を使うな!」とはさすがに言わなかったはず。(メリーさん言ってそうだけど、メディアには白波瀬さんや広報が対応したろうし)

*2:そういや俺がジャニーズへの「忖度」を最初に目の当たりにしたのは「稲垣メンバー」の件だったな。

*3:というか、もちろん「完全になくす」ことは不可能だ。忖度は誰にでもどこにでもある自然な心理である。ワイもクライアントや妻やブクマカに忖度しまくってるで!

*4:橋下氏にもクソなところいっぱいあるよ。ウクライナ関連ではコイツどうしようもねえなと思わされたし。まあ是々非々で。

*5:だってアーティストや作家の人格も含めてファンになってる事あるでしょ?

*6:思い出したから追記。田中秀和ケロちゃんじゃない方)もこのパターンや。

「脚を露出していたので声をかけた」…「ウマ娘」作曲家「『好みのタイプ』の少女」へのわいせつ行為(FRIDAY) - Yahoo!ニュース 「田中被告が楽曲を手がける『アイドルマスター』は10代の女性アイドルがメインキャラクターで、アニメ『アイカツ!』は小学生女児をターゲットにしています。少女への犯行は、あまりにも印象が悪い。今後、多くの作品で田中被告の楽曲が使用できなくなる可能性があるんです」